好きなことってなんだろう?

自分の好きなことを小さなころから順に追って思い出してみる。
不思議だけれど、こうやってブログに書こうとするといろいろと思い出す。考えているだけではなかなかまとまらなかったりする。ほんとうに不思議なことだ。


物心がつくかつかないかの頃。
砂場でひとり遊びが好きな子供だったらしい。砂場でずっとひとりきりで何時間でも平気で遊んでいたらしい。
小さな頃からひとりが好きだったようだ。
飽きもせずにずっと長時間、砂をいじっては楽しんでいたそうで、少し大きくなってからも砂漠や砂丘に行きたがる妙な子供に育った。
その頃の砂場遊びのイメージがずっと残っているようだ。
小学校の3年生くらいの頃には砂漠に憧れていたきがするので、すごく変な子だったかもしれない。ドラマで見かけるとうっとりしたりして。


そんな物心つくかつかないかの頃から変わらないことがもうひとつあって、それは歌を歌うことだ。
ムーミンを見ながら一緒に歌を口ずさんでいたのが始まりらしい。
♪ねえ、ムーミン♪というやつですね。
それから大きくなるにつれて、ザ・ベストテンザ・トップテンなどのランキング番組を見ては興味を持ち、ラジオのランキング番組を聴いては録音したりマネして歌ってみたりしていた。


いろいろ好きだったけれど、大きく分けてみるとアイドルとアイドル以外のミュージシャンというくくりになる。
わたしが小さい頃にはすでにピンクレディも解散間近だったかもしれない。
小学校低学年のときには、たのきんトリオ近藤真彦松田聖子チェッカーズという感じで流れていきました。
やっぱりアイドルといえば私には松田聖子で、毎日といっていいくらいに口ずさんでは喜んでいた。
すごく好きだった。


実はそんな頃他にも好きなことはあって、飼い猫と遊ぶことだったり、近所の男子に混じって遊ぶことだったり(メンコとか)、リカちゃん人形で遊ぶことだったり、自分勝手に妄想(妄想歴長い)することだったりした。
兄のマネをしてホットケーキ作ったり、クレープ作ったり、とにかく兄のすることもよくマネをした。
しかし、基本はやっぱりひとりでいて何かを考えたり、浸ったりすることだった。
それが原点なので今でもひとりでいることは苦にはならず快適だ。
自分ひとりなら変更自由だからだろう。


小学校の中学年くらいから何かを作ることも好きになった。
お菓子もそうだけれど、リカちゃん人形のお洋服を自分で手作りするのも好きだった。
ヘタなのはもちろんだけれど自分で作るというのが何か楽しかった。
そしてオルガンで曲を弾きながら歌うのも、レコードを聴くのも好きだった。
民話を読むのも好きだった。
小学校まではかなり自由にいろんなことが好きな子供だったんだなあと振り返ってみた今、思う。


道路に描いたお絵かきから始まってノートにつらつらと自由に書き込むのもすきだった。
文章も適当に思いついたことを書きながらイタズラ描きもいっぱい。
少女マンガも大好きだった。
ちゃお、りぼん、なかよし、マーガレット(別冊も週刊も)、フレンド、LaLa、少女コミックなど、一番最初は幼稚園のときのちゃおから自分で買い始めたりぼんなどずっと読み続けていた。


振り返れば振り返るほどにいろんなものに目移りしては並行して続けていたなあ。意外とバランスよくなんでもやったなあ。
女の子同士でも沢に遊びに行ったり冒険ごっこもやったし、テレビゲーム以外(スーパーマリオの出始めの頃だった)はほんとうに何でもやったんだなあ。
テレビもアニメはもちろん、日曜日の映画などもよく観た。
植木等さんの映画とか、加山雄三さんの映画とかもよく観たなあ。


小学校時の夕方の流れは、帰宅後すぐに洗濯物を取り入れてからアタックNo.1巨人の星などを観るという流れだった。
親はその頃はもう共働きだったのでカギっ子である兄か自分が洗濯物を入れていたのだ。
終わるとちょうどアニメの時間だったのでなんとなくアニメ鑑賞になった。
戦隊ものもよくやっていたな。
テレビっ子でビジュアルが先にバーンと入ってきて育った世代なのかな。


中学に入ってからはテレビと並行してラジオも聴くようになる。聴いていた番組は邦楽のヒットチャートだった。
中学の頃には兄はもう洋楽も聴き始めていたので、ときどき勝手に物色しては自分もマネして聴いてみたりした。
わたしはその頃からロック系の音楽に興味が出始めていた。
マンガ雑誌も読んでいたし、小説も少しずつ読むようになっていた。
教室で借りてくるシャーロック・ホームズだったり、図書室で借りてくる源氏物語だったり、クレオパトラだったり、コバルト文庫だったり、赤川次郎だったりした。
ときどき同人誌も借りて読んだりもした。
漫画家に憧れていたのでノートに絵を描いたり、話を考えてボーッとしたり、ペンを使って墨汁で塗ってみたりもした。


高校になってからは小説の種類が増えてきて、マンガ研究会のようなノリでノートに漫画絵ばかり描いている美術部だったりした。
型にはまった油絵があまり好きではなく、授業でも背景を勝手に空に変えて描いてみたりしていた。
帰宅途中に空に見惚れたり、富士山に見惚れたりしたのも高校の頃だった。
昼間はみつ編みにしていて帰るときにはほどいてみたり。
自然や音楽、文章や漫画には親しんだけれど男っ気はまったくなくて、別段それを寂しいとも思わなかった。
特に気になる相手もいなかった。女子高だったせいもあって、むしろ女子高ノリでカッコいい先輩とかカッコいい先生とかに憧れていたりした。
女同士が楽しかったのだ。


家では帰宅中に観た景色や花、空模様などを思い出しながら白紙のノートに書いたりするのが好きで、気の向くままにカセットテープのレーベルを手作りで作ってみたりもした。
ひとつひとつ違う印象の音楽に合うように手作りでヘタっぴながらに何かと考えては作るのが好きだった。
年賀状も手描きで一枚ずつ書くのが好きだった。プリントごっこがなかったせいもあるけれど。


高校の卒業の頃には少し引きこもりがちになってきて、なおさらにノートに向かって何か書いたりすることが増えていた。
それと並行してロック系の音楽をずっと何かしら聴いてきた。
ラジオを聴いていると自然と知っている音楽が増えてくるので、お金の都合がつく限りはいろんなものを聴くようにはなっていた。


お絵かきは好きだったけれどいつしか漫画家はあきらめていた。
特になりたいものもなく、引きこもっていたときにはお掃除とテレビ番組が主で、アインシュタインなどを扱った深夜番組が面白かった。
ワイドショーも見たし、再放送のドラマなどもよく見た。
読書は神話や精神世界のことを扱ったもの、ボーイズラブを扱ったもの、ハーブやアロマテラピーを扱ったもの、普通のファッション誌なども読んだ。
読書好きのための雑誌なども出始めた頃で、創刊から何年間もダ・ヴィンチを読んでいたりもした。


こうやって小さな頃からの自分の趣味を振り返ってみると、けっこういろんなことに手を出してやっていたことに気づく。
これは20代の真ん中くらいまでのことで、20代の真ん中を過ぎて27歳くらいからは出かけたり、アーティストのファンクラブに入ったり、ライブに行ったりするようにもなった。
2000年の春、同僚とのケンカを機に居づらくなった職場での孤立感を癒すためにしていたことが、読書(京極夏彦)とお菓子作りだった。
お菓子は毎週決まって土曜か日曜に作っていた。
ドライフルーツ入りのパウンドケーキか何かで、おかしいほど毎週焼いていた気がする。
なんだろう、その京極さんとケーキって。
なんだかよくわからないけど、それが気晴らしになっていてなんとか動いていた。


振り返ると自分ひとりでこもる内向的な生活が20代の真ん中まで続いたことになる。
友人と連れ立って出かけることも高校卒業後にはほとんどなく、仕事と家との往復で、ときどき本屋とかドラッグストアとかコンビニとかに行ったりしたくらいだった。
ひとりが好きなので特に悪いとも思わないけれど、一般的な生活と比べてみたらものすごく暗い青春時代だっただろうな。


この後、サッカーに興味を持ち始めたり、ライブに行くようになってからは演劇にも興味が出始めたり、デジカメ撮影にも興味を持ち始めたりして、更に好きなことは増えていった。
デジカメとネットで書いていた日記以外は、昔と違って自分の中から出てくるものではないものとの対話になっていった。
明るかろうが暗かろうが、自分自身の中から湧き上がってくるものとの対話は自分の心のバランスを取るにはとても大切だったことがわかる。
触れて楽しむだけでは自分の中のいろんなものは解消されなくて、その解消されないものが溜まっていくことで心にかかる負担も増えて、内服していた薬を止めるのも難しい状態になっていった。


自分が好きなことってなんだったかなと思い振り返ってみたけれど、自分が通ってきた趣味はけっこう幅広いものだったことに気づく。
写真は人物ではなく自然や動物が多い。
読書は出かけるのが増えてからは小説を読むことが多くなっていく。
ノートは自分の気持ちを吐き出すものというよりも、本の内容を書きとめるために使うものに変わってきて、イタズラ書きも漫画絵からごくごく単純な絵に変わっていく。


これだけいろいろと好きなものがあっても、ほんとうに生きるということが辛くなったときには何も手につかなかったので、趣味が多いかどうかが人生にとって最重要なことではないと思う。
生きていくのに一番大切なことは、自分の未来を明るく思い考えられるかということにかかってくる。
この明るい見通しがないと何も手につかなくて、その場限りの趣味や人間関係になってしまって続いて行かない。
行動範囲も狭くなってしまう。


明るく交際範囲が広い方がよさそうに見えて、実はひときりでも内観ができる状況の方が遥かに心のためにはよいのだということができる。
内観というのは、自分が何を考えていて、何を求めているかということを知るためのものだ。
今日のこのブログのテーマは、この先自分がやっていく仕事を好きなことにするために必要な作業で、決めかねていたその仕事を決めるためでもあるが、いったいわたしは何が一番好きなんだろう。


こうやって思いつくままに文章にすることだろうか。
音楽を聴いたりお芝居を観たりして感じたことをそのまま文章にするのも好きで、ライブや旅行の日程を日記にして人に読んでもらうのも好きだ。
手作りでチクチクと何か縫ったりするのも好きだ。
勝手に思いつくままに適当な料理を作るのも好きだ。
猫に話しかけるのも好きだ。
ではやりたいこととはなんだ?


やってみたいことは、取材に行くこと。
音楽やお芝居の取材に行って感じるままに書くこと。
自分の中から出てくることをこうやって書くこと。
何かの良さについて暑苦しいほどに解説すること。
何も考えずに手の動くままに何かを作ること。
何にでも手を出して挑戦してみたい。
挑戦したいことはスカイダイビングとか、バンジージャンプとかもあるし、演劇もやってみたい。


どれかひとつに限らずにいろんなことをやらせてもらうには、まず何かひとつでも仕事にしてしまうことだ。
表現するものがあれば、後はついてくるからだ。
では何を選ぶのか。自分が一番努力できることを選ぶことだ。
一番努力できることは何だ。飽きずにやり続けられることは。
型にはまったことを強要されるのが嫌なので、自由にやらせてもらえることがいい。
何が適当なのか。


人を見ていて、この人にはこういう作業があっているなどと考えてそれを伝えるのは好きなのだが、自分のことになると興味が分散していてすぐにはわかりかねる。
自分でなんとなく文章と決めているのだが、文章にしても何が一番なのか。
何が一番かはさておき、とにかく取材の仕方を教わって取材に行ってみたい。
自分の好きなものを掘り下げてみたい。
取材という一連の作業を学んでから、その上で自分の書きたい文章を書くことも煮詰まってくるような気がする。


取材。取材したいのはどんなものだろうか。
取材と言ってもいろんなものがある。
それは自分の興味があるところで、音楽だったりお芝居だったり展覧会だったりする文化を扱うものがいい。
ライターというジャンルだろうか。
ライターならばどんな雑誌がいいのか。
上にあるような文化を扱うものがいい。
文化を扱うもので、型に嵌らない文章を好むところがいい。
そう考えると、あまり大手のところには合わないだろうか。
かなり決まってきたが、そうするとどんなところがいいのだろう。
口説き落とすには対象を決めないことには落とせない。
カルチャー全般を扱うところか。


ここで少し迷うのが取材というアプローチからではなくて文章を普通に書くということからやっていこうかということだ。
順番はどちらからでも良さそうだが文章を自分なりに書くにはひとりでいいが、取材するにはひとりでは無理なことだ。
誰かに教わったり経験することで見聞を広めて慣れていくということが必要だ。
文章は今すぐにでも自分の中から出てくるものならば書ける。
それでは何を書くことが一番向いているのか。


物語作家なのか、ノンフィクション作家なのか。
ノンフィクションならばどちらにしても取材というのは学んだ方がいい。
物語作家ならば学ばなくてもできることはできるが、お話を作ることが最重要課題になる。
お話を作るには、わたしなりに経験したことから書くのが一番説得力がありそうだ。
経験したことといえば自分の人生そのものや仕事でやってきたことなどになる。
そうすると体験記になりそうで分野がノンフィクションに近くなってくる。
体験を骨格にして物語を膨らませることもできる。それならば物語として書ける。


こんな感じでここから先に行くには更にもっ突っ込んで考えてみることだ。
わたしは自分が好きなものの魅力を人に伝えるのが好きだ。
これのこういうところが凄いんだよと解説するのが好きだ。
どちらにしても一般的に「ライター」と呼ばれる職業になるか。
そうしたら「ライター」になるのにどうしたらいいのか。
どこかの出版社に入れてもらうか、フリーで何かに応募したりして仕事をもらうか。
応募するならば何か作品を仕立てなければならない。
そうしたら何を仕立てようか。
結果的に自分の体験談になってしまいそうだ。
体験談とは、人とは違う自分が経験してきた自分独自のものの方がいいだろう。
自分独自のものというのは書くのに少し勇気がいる。
しかし、説得力は一番出るに違いない。
説得力は人の心を惹きつけるのに一番の要因になるからそれは外せない。
説得力。


結局何にしても自分の中から出てくるものということになる。
そういうわけで、自分が一番好きなものは何かというのを探している。
どうやら得意そうなのは文章のような気がするが、その内容はどうかといったところで迷う。
もっともっと突っ込んで考えてみる必要がある。


重要なのは、自分が自分なりに感じることをきちんと伝えられることだ。
だから誰かの意向が大きく反映されてくるものではなくて、わたし自身の考えを書けるということだ。
わたし自身の考え。
わたしという人間のフィルターを通して出てくるもの。
分野はどうでも自分が思うこと、感じることに敏感でいるのが大切だ。
今の自分が考えていること、求めていることをきちんと把握することからだ。
こうやって、わたしは自分が何を好きなのか、何をやりたいのかということを考えるとはなしに考えているのだ。


自分について考えてあげると、もっと自分を好きになってあげられるかもしれない。
自分を好きになったら自分の表現したいものも、はっきりと見えてくるだろう。
まずは自分自身を見つめることから。
自分自身を振り返るのはなんだか楽しい。
その楽しさを誰かに伝わるように書けたらそれは素敵だ。


自分なりの好きなこと。
それは自分が表現したいように書かせてもらえること。
自分が感じることを出していけるもの。
自分の感性をもっともっと磨いていくこと。
誰かの中にある良さに気づいていくことで、自分自身の良さにも気づくように。
誰かと楽しさを共有できたらいいな。
まずは自分自身の内面からきちんと把握しよう。
それが一番大切なことだ。


過去の自分について、もっともっといろいろなことを思い出してみよう。
宝物が自分の中にあるのならきっとわかるはず。
結果としていうのなら、自分探しが好きなのかなということになる。
自分の感受性の幅をもっともっと拡げたい。
自分を愛することで人にももっと優しくなって、そして優しさの連鎖で優しい繋がりを作っていくのだ。
誰かの心にある鍵を外すことができたら。
そうすることで誰かの心が自由になって、自分らしく生きていけるようになればいいな。


まずは自分が自分らしくなることからだ。
もっとわたし自身を見つめてみよう。