色気ってなんだろうな

色っぽい曲が昔から好きだ。
色っぽいってなんだろうね。


色っぽい人も昔から好きだ。
男の色気って女の場合と少し違う気もする。


色気というのは苦しみから生まれるものもあれば、色事から生まれる場合もあると思う。
心の中を何かひとつのことによって占領されてしまうという経験において生成されるのではないかと思う。


それは恋愛だったり、仕事だったりもすると思うが何か打ち込むものがある人は自然と自然な色気がつくのではないかと思う。


胸やけするような色気も好きだけど、男の人に漂う色気というのは胸やけしない類の色気がいいなと思う。


女の人の場合は胸やけするような色気でも、まったくないよりは私は好きだな。
それだけ女、女してるってことだから。
女が女、女してるっていいことだ。


今日初めて聴いた曲が色っぽかったのでついそんな記事を書きたくなった。
マイスペースにあげられていた曲で、
「Baby Come On」 Natural Four
というものだ。


色っぽいなあ。
先日、なんだかサザンを聴きたくなってYouTubeで検索していた。
中村雅俊さんの歌った「恋人も濡れる街角」の歌詞の意味を改めてきちんと知ってみて子供の頃とは違うことを思ったりして。


大人になるって感じ方が変わるってことなのかな。
私が実地で色事に近寄ったのは二十代後半だったけど、ほんとの実地は三十代だったから。
ようやくわかるようになったという感じだ。
「エッチも数こなさないとわからないよ」と言われたことがあるが、ほんとうにね、体のことにのみ語るにしても経験の数っていうのは大切だなあと思う。


だってね、単純に回数行かないと気持ちよくはならないし。
ほんとにそのとおりだなと思う。
そんなことを堂々と書けるようになったのも大きな変化だろうな。
回数関係なく感じ取れるようになるには相手との心の繋がりいかんかなあ。
最初の相手からそんな繋がりが持てるのならば幸せだけど、私は今になってようやくわかるようになってきたのだ。


色気というのは感知や表現が出来てもそれを身に付けるのは難しいことだ。
性体験のある大人のすべてが色っぽいわけじゃないから。
何がきっかけになるかは人それぞれだろうが、私は何か一点に心を占められるということが関係すると思っている。


ヤンキーな人にはヤンキー特有のニッカボッカな色気があって(むさくるしいのが色気に繋がる感じ)、上品な色気を放つ人もいて。
上品な方は一点集中のほうなのかなあなんて考えてみたり。


子供の頃から色気というのは好きだった。
けばけばしい浅野ゆうこさんが大好きだった。
なんて艶っぽいんだろうと感激して見ていた。
中森明菜さんの歌っているときの様子も大好きだった。
ものすごく色っぽかったから。
色気というものに自分が縁がない頃から色気というものに憧れていた。
何かこう、違う次元の放つ雰囲気に惹かれていたのかもしれない。


話が今日初めて聴いた曲に戻るが、この曲にもなんともいえない色気が濃厚に漂っている。
声も色っぽいがメロディがね、色っぽいなあと。
いいなあ。
ジャズやブルース、シャンソンなどの音楽のライブを観にいきたいと思う。
何かこう、他のものにはない独特の雰囲気がそう思わせる。
それは今まであまりう慣れ親しんでこなかったからそう思うんだろう。


ロックでも歌謡曲でも何か感じる曲が大好きだけど、何か感じるものというのは心をこめて作られているのだろうな。
悪くないなと思うものとものすごく感じるものにはやっぱり大きな差がある。
聴きやすい馴染みやすい曲も大好きなのでどちらがどうということもないけど、何かを感じる音楽に出会ってしまったら後戻りはできない。
聴いたらわかる。
それでもどんな曲でも何かしらのメッセージを放っているのは確かだから。
そのメッセージが濃いか薄いか、作り手の覚悟があるかないか。
そんな違いなのかな。


自分がカラオケルームの録音機能を使って歌ってみて録音された曲を聴いたらなんとなくわかるようになった。
緊張して歌われている声は聴いていても痛々しくなる。
リラックスしてると思われるものならばなんとなく聴くときも少しは落ち着いて聴けるものだ。
声色にはそれだけ多くのことが込められてしまい、それだけ伝わりやすい道具でもあるのだ。
声色というものの伝えてくれる温かさというか、力強さ。
ホッとするような声から打たれるような迫力の声まで。
そのときの感情や体調、緊張状態や心の余裕なども伝わってくる。


どんなときもリラックスしてみんなが歌えたらいいのにね。
もちろん自分も含めての話だ。
蘇州夜曲を歌いながらとても気持ちよくなれたのに録音することができなかったのが残念だ。
なぜなんだろうね。
自分で自分が唄うのを聴いていてもものすごくうまいわけではないけれども、何か感じるような気がしている。
それは歌唱力とかでなくて、声色に出る何かだ。
それが何なのかはうまく言えないけれども、歌唱力うんぬんよりも何かを感じるシンガーがいるなとは思っている。


自分が唄って録音してみてから改めて唄うことの大変さや緊張感、何気ないところにある難しさを知った。
だからこそ声色にいつも何かを感じる歌い手というのは凄いと思う。


色気というのはエッチしたからといって身につくものではない。
しかし、しないでいるよりも身につきやすいものだ。
体験が多い少ないよりも心をこめることが多いか少ないかなのかもしれない。
何であろうとその事柄に心をこめて暮らしていたらいつのまにか身につくものかもしれない。


自分自身の人生の中で異性からの近寄りがまったくなかったときがあってそれはけっこう長い間に渡ってそんな状態だった。
だからこそ比較してわかることがある。
そんな人ととの違い方も武器なのかな。
今までは人と違うことが非難されたり嫌がられたりする原因になっていたけれど、これから先はその個性こそが一番に自分を助けてくれるだろう。


飼いならされた動物みたいに一定の精神状態になることはない。
一定の考え方になることもない。
自分は自分のままでいいのだ。
そう、自分が自分の心で魂で理解出来たらそのときにはもう昔の自分ではないだろう。
それを学ぶために今の生活苦があるような気がする。


毎日、お風呂に入るだけで大変な手間がかかっている。
ガスが止まっているので電気のレンジ台でお湯を沸かして、電気ポットでお湯を沸かして浴槽にためるのだ。
ものすごくめんどくさい。
それと同時にキャンプのような楽しさもある。
日常の中で非日常が味わえる得難い経験をしているのかもしれない。
そんなふうに思ってみたらなんだか今の自分の生活も少し愛しく思えるようになってきた。


今の自分を受け入れたら新しい未来はもっと光り輝く。
過去を否定しないってなかなかに難しいことだ。
消したいような過去も「まあいいか」と流して颯爽と清々しい未来へいくために。
やっぱり今の困窮はとても役に立つような気がする。


毎日の自分の生活よ、どうもありがとう。
なかなかできない経験だ。
私は私の感じることを大切にしよう。


昔から色気のある人が好きで、色っぽい曲が好きなのは、そこにある「込められた想い」に感動するからなのかもしれない。
文章にしながらわかってくることはたくさんある。
文章や絵は私の相談にのってくれているのだろうな。


色気というのは手の届かない宝のようで、誰の中にもある綺麗な可能性だと私は思う。