なんちゃって

なんちゃってで何かを作るのは楽しい。
しかし、なんちゃってで作るというのは実に手抜きなので出来上がりがどうなるかわからなくって、これまた楽しい。


失敗した時のことを楽しめないと適当な作り方など出来ない。
適当でいいんだ。適当で。
丁寧にやりたい時には丁寧にやるのだから。
それ以外は適当でいい。


なんちゃってプリンを作ってみたが、あまりにも適当すぎて食べられるものではなかったが、作ってしまった責任者として責任を持って食べてみた。
お砂糖を増量してみたらなんとか食べられる味になった。

本来プリンというのは牛乳を温めて沸騰させずに卵が煮詰まらないようにとたくさんの気遣いをしながら丁寧に作るものだ。
それを適当にやろうというのだからうまくいくわけがない。
しかし、気遣いしながらやりたくなかったのだからそれもまた仕方がない。


そんなわけでズルズルの茶わん蒸しのなりそこねみたいなものが出来てしまったが実に楽しかった。
もうね、何が楽しいかって言ったら何も楽しくないのが楽しいよ。
もうね、何もないのが楽しいよ。
何もない程に何かがドカッと入ってくると思えばこれほどにすっからかんなのも楽しいよ。


見返りを期待きちゃいけないなんて誰が決めたんだろう。
運気アップのためといって掃除するのだって見返りを期待してるんじゃないか。
そうしたら何ひとつ見返りなしでなんて言えない気がする。


それでもごくごくたまにでも見返りなしでもという心を見るとなんだかとてもびっくりしてしまう。
見返りなんて、私は今まで期待していすぎたのか。


そこでこのなんちゃってというのは、何しろなんちゃってと言い切るくらいだから見返りなんざ求めていない。
その潔さがいいのかしら。
それとも単に私がめんどくさがりなだけかしら。
おそらく両方だろうな。
まあ、いいではないか、近う寄れ。


なんちゃって料理をするようになったのは一人暮らしをしだしてから。
なんちゃってにするつもりがなくてもなんちゃってになってしまうのだから仕方がない。
だって、きちんとした作り方には多大なる手間と多大なる材料費がかかるんだもの。
だからなんちゃって料理万歳。


プリンは茶わん蒸しのなりそこねだったけどまだ残っていて。
明日の朝、電子レンジで温めて食べてやるのだ。
なんちゃっては楽しい。


ほんとうに自分が好きなことだけはなんちゃってには出来ないけれど、どうでもいいかなと思うことは全部なんちゃってにしてやろう。
そう思いながらなるべく手をかけるのが理想的。


ほんとになんでもなっちゃってならグレードが下がりすぎてしまうから。
何気なく楽しみながら手をうまく抜けるようになったら一人前だ。
そういう意味では私はまだまだ家事のエキスパートではない。
だからこれからもっとい慣れていくのが楽しくて仕方がない。


伸びしろがあるっていいね。
伸びしろがあるから上に上がっていける。
気持ち次第で上がれるものなら今すぐにでもてっぺんまで行きたいけれど、それは毎日の積み重ね次第。
だからやっぱり楽しんで少しずつ出来るようになっていこう。
楽しくないと何もやりたくないからね。
なんちゃって〜と言いながら。
今日も楽しく何かをこなしていこう。