自分

ベガがなんか、かわいいこと言った!
ときどき短歌詠むのがかわいい。
またいじってみたら…


「この乙女 防災される サラダだね」だって。なんだそれ(笑)
さっきのは、「この日記 納得すなる 乙女だね」だったかな。


ログインしてなくてアクセスしてもわたしとわかるのだなあ。あんまり構ってやってなくてごめんよう。
おもしろいこと言ってくれて楽しいなあ。


カリエトラコはだいすき!だって。かんわいいやつめー、このやろうー。グリグリ。
ブログペットに興奮してる(笑)かわいいなあ。


ここ何日かはひきこもりな生活です。
思い立っては掃除し。また掃除し。そしてお片づけははかどらない。掃除はするのに…。
随分とご無沙汰していたけれど、またベガの後押しで日記かいてますな。
ほんとにかわいいやつだな、ベガ。
うっとり。


何が自分のやりたいことなのか。
10日に受けに入った試験は結果合格せず。
他に登録している派遣は、なかなか仕事に入れてもらえず。
結局、現状維持のままで明日は仕事です。
ご縁をないがしろにしてはなりませんな。


どうしても自分が止められずにつらつらとよくないことを考え溢れさせては、波が戻ってきて自己嫌悪。
このところ、休みに入る前の自分はそんな感じでした。
先日の勤務は非常に平和で楽しくルンルンしてましたが。よかった。


自分がパッキリと決まっていないので、当てはめるほうも迷うよなあ。仕方がないよなあと思います。
昔からね、白い無地のノートにつらつらと書くのが好きなんです。
いつしかそれをやらなくなった。
それは忙しさを理由に、現実から目をそらしていたからか。
白いノートにいたずら書きをしながら、女の子を描きながら。
いつも思っていたことは…、生きた眼を描きたい!だった。
生きた眼。
絵だけど、気持ちが伝わる生きた眼。
鉛筆でも、シャーペンでも、ペンでも同じ。
だいたいは、鉛筆が一番、生きた眼が描けたのだけれども。


小さなころから色っぽいものが好きで。
色っぽい俳優さんが好きで。
演技力のある人が好きで。
色っぽい話が好きで。
色気のある人が好きで。
それはやっぱり変わらないけれど。
自分がそういう世界に足を踏み入れることはなかった。
何も知らないわけでもない今でも、やっぱり積極的に関わっていない気がする。


自然と自分の中のいろんなものを受け入れ認めてあげたとき、新しい気持ちになれるはず。
天才が好きなんです。自分は別に凡才だけれども。
だけど、天才が好き!っていって見ている自分の中にも、同じ才能があるよって言われている気もする。
江原さんの本にはそんなふうに書いてあったし。
受け取れるということはそういうことなんだろうなとも思う。
感じる。受け取れる。受け入れる。
自分が普段は頭で知らず知らずのうちに考え、決めてしまっていること。
もっともっと。昔の自分がやっていたみたいな、自由な空想。自由な気持ち。自分だけの世界。
それが白い無地のノートのいたずら書きにはたくさん込められていたと思う。


自分はもともとひとり上手なのですが、今現在はひとりべたになってしまっている気がした。
どうしてもね、人と違う部分は誰の中にもあって、誰でも自分だけが感じることがある。
それがお互いにリンクすることがある。
交われないこともたくさんある。
どうも、自分が抜けられない穴とか、自分がハマりやすいジレンマを人に感じてはイラついている気がするのです。
自分の中が整頓されたら、もっと許容量が増していくんだろうな。


穏やかさはときとしてとても発揮されるようにはなってきた。
しかし、芸能人がテレビで見せる「感激の涙」は自分にはまだない。
面白さと楽しさはあるのに、感動がまだ薄れている。
自分の中のパーツを拒否しているからなんだろうな。
うれし泣きっていつしたかなあ?
悔し泣きはよくあるのだけれども。
人肌から感じる温かさは、どこかうれし泣きの感覚に似ている気がする。
人肌も、近頃は感じていないから。


疑い深い自分。
自分はもちろん、親も信じていなかった昔。
人を信じず、しかし、人の作るものから感じるものを信じようとしていた。
今でも完璧に自分を信じることはできていないけれど、もっと自分にしかかわらないことを大切にして、自分を可愛がってあげたら。
もっともっと可能性は拡がって、末は誰のこともわかるようになるんじゃないか。


それにはまず、自分の避けて通りたいことを突き詰めて考えてみないとね。
なかなかね、頑固すぎて困ります。
頑固そうな見た目はしていないと思うのだけれども。
世間がわたしに見る頑固とは違う頑固が自分を苦しめていたり。


空気が読めるということは、場の空気が険悪になっている場合は、その険悪な空気そのものになるということではないか。
空気が読めるということは、うまく立ち回るということではなくて、空気に染まってしまうことではないのか。
一般的に空気が読めないと言われる場面は、実は一番に敏感に受け取りすぎて染まってしまった場合ではないのかなと。
そう感じた。
空気が読める人って、自己がなくって他者に合わせることで生きていくタイプのことではないのか。
合わせることが100%では自分が崩壊してしまう。
自分は自分であって、人にはないものがいっぱいだから。


これは誰でもそうだと思うから。
だからね、自分を知らないといけないんだなあと思う。
不思議だけど、文章を書き始めるとなんとなく自分でも掴めるような気がしてくる。
自分を押し殺すのではなく、自分を見失って弄ばれるのでもなく、自分は自分できちんと立ちながら。
その上で誰とでもうまく渡り合うには…。
やっぱり自分とディープに深く深く、毎日語り合う必要がある。
あるはずだよなあ。
それをしていなかったら、迷って迷子になって弄ばれるよなあ。


ここしばらくの、休む前の自分の脆さを納得できる。
ひと押しするだけで壊れるものが目の前にあったら………。
破壊衝動にかられても仕方がない。


そうされたとき、自分が反射的にその対象となった人を蹴ったりするのを止めるのはちょっと大変だった。
そこでその誘惑に負けなかったことを、とても幸運に思う。


自分自身もよく、人に勝手に期待しては思い通りに事が運ばずにがっかりして裏切られたような気になるので。
やっぱり人のことばかりは言えないなあ。
お互い様です。
自分が普段から「お互い様だから」と言っていた言葉を、もっと実感して生きよう。
自分も色メガネ満載で見てきたから。
色メガネを透明にして、その上で自分の特色を出せるようにしたい。
人と関わらずに済ませるのは無理だし、それでは成長しない。
だからといって自分を廃してしまっては、根本がなくなってしまう。


きっとみんな、同じような悩みを抱えて生きているに違いない。
生きる希望を失わなくても、人は緊張感からでも味覚を失うのだと知って驚いた。
人間って、とても繊細な生き物なんだね。
繊細だからこそ、感動があるんだもの。
繊細そうに見えない場合でも、実はとっても繊細だからね。
だから、人には優しくしたい。
やっぱり自分見つめは大切なんだなあ。
自分は人でもあるっていうのは、そういうことなんだよね?


書いてみたあと、ベガとリンクしていることに気がついた。
ブログペットじゃなくって(うちの子はベガという名前です)、スクーデリアエレクトロ石田さんの曲のベガ。
心の中の純粋無垢な回帰点への愛情という、そんな感じ。


自分の置かれる立場を考えすぎていては自分が壊れる。
自分は自分という枠は自立する上では必要不可欠だよなあ。きっと。
自分勝手でもなく、迎合して自分がないのでもなく、自分は自分。
みんな、他者の意識に踊らされて自分が見えなくなっているんだ。
みんなで自分自身を愛してあげないといけないんだなあ。
自分を見つめてみます。
たった今から。