派閥争いが嫌いです。わたしはどこにでも入り込みたいところがあるので、ときどき後先考えずに飛び込んでは痛い思いもするのですが。

karietorako2006-03-26

どんな人にもある、その人特有の魅力というか、無視できないものにあるときはムカついたり、あるときには感服したりと日常はとってもいろんなことに溢れかえり、いろんな発見があり楽しいものだと思います。
自分の身に起きることを楽しむには、それ相応の覚悟がないとできない気がするのです。
覚悟があれば、あとは自分のこころ次第で対応は変わってくるのです。

派閥というものに入ってしまうと、基本的に自由な発想でいられなくなるというか、暗黙の了解で“わかれよ、お前。合わせろよ”というプレッシャーがかかってくるのが嫌なのです。
合わせるのが嫌なのではなくて、相手にばかり要求することが当たり前な人になると自分を冷静に省みられなくなって。それが嫌なのです。
納得するというのは難しいのです。
腑におちる言葉を求め、ひび生活しているのです。
自分を納得させられる言葉を探し求め、自分の考えを正確に表現できる言葉を探しているのです。
ほんのちいさな共感でも、それは大きなきっかけとなって自分を拡げてくれるのです。

できうる限り、自分はありすぎる自分の考えをなくすことをしながら、人とうまく折り合っていけるように努力したいのです。
思い込まないということは、とっても難しいと思うのです。
ひとに譲るということもとっても難しいと思うのです。誰でも自分の考え方にそれなりにこだわってしまうからです。
自分が“大丈夫”だと思った瞬間に、ほんとうは落ちていくのだと感じるのです。
長い目でみると糧になることもあります。
一番大事なことは、自分も人も限定しないことかなと。
自分を表現するならば、人の表現も落ち着いて受け入れてみることもしたい。
片一方だけで思ったのでは先に繋がっていけないから、できる限りは考え方を限定しないで拡げていけたらなあと思う。

まあ、あれやこれやと考えるよりも、ぐっすりと眠ってしまったり言いたいことを言葉にしてみたりしたほうがいいときもある。
こころは難しいけれども、素敵なものでもあると思う。
温かい気持ちで繋がることができたらとっても幸せだ。
素直であるということに憧れます。素直であるということは、かたくなでないということだから。
一番難しいのではないかしら。

基本をしっかりと身につけたい。
どんなことも、基礎がしっかりしてこその応用だから。
もっともっと引き出しの多い人になりたいなあ。
それが面白いということではないかしら。
断定的にいうには、自分はあまりにも未熟であり、断定するということは未熟であり。
バランスのよいことはいいなあ。
自律って大変だね。だけど、大変なことほどやりがいがるから、人生は楽しいね。
苦しいことも楽しんでいけたら、それがこころの平和かな。

考えることが好きで、考えることのできることをありがたいと思います。
なんか、余裕ぶっこいたことばかり書いてますが、ほんとうは毎日のたうちまわっているのです。
意図していないことほど、はた目には魅力的に見えることもあるのですよね。
人間って自分で限界をもたないようにすればもっと大きくなれるのではないかと。
そう思わせてくれることが素晴らしい。

毒しか吐けないのはカッコいいことじゃないから。
自然体で嫌味のない人になりたいなあ。
それが難しいんだってば。

猫に包まれたいよう。えぐえぐ。←実態が出た(笑)